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悲しんでいい理由は、外側にはない

感情を扱う

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【vol.2485】

 

 

 

こんにちは!
カウンセリングオフィス

プログレスむかいゆかです。

 

 

 

実は、今週の月曜日、

愛猫のルナが旅立ちました。

 

 

 

 

 

 

5年前にバイパス手術を受けて

一命を取り留めて以来、

元気に過ごしてきましたが

 

 

腎不全が

徐々に悪化してきていたようで

数ヶ月前から体重が

徐々に落ちてきていたんですよね。

 

 

それでも、今月上旬に

かかりつけ医に受診したときも

元気いっぱいだったのですが

 

 

2週間くらい前から

少しずつ元気もなくなってきて

1週間前からガクガクガクっと

急激に容態が悪化しました。

 

 

 

5年前に一度諦めた命だったので、

今度、同じようなことがあったら

静かにルナの最期を見届ける覚悟は

前々からしていた“つもり”でしたが、

 

 

それでも、いざその瞬間が来ると

覚悟なんてものは

何の役にも立たないものですね。

 

 

 

前回のブログ

「disenfranchised grief

(社会的に認められない悲嘆)」

という概念について書きましたが、

それはこういった理由があったからでした。

 

 

 

ペットを飼う人が増えた今となっては

社会的なペットロスという概念に対する

認知度も高まりましたが

 

 

それでも、ペットロスや

明確な「死」という形を取らない喪失は

周囲から「悲しんでいい」と

なかなか承認されにくいものだったりします。

 

 

 

 

 

 

だから当事者は

自分の悲しみに対してさえ、

「こんなことで泣くなんて」

とブレーキをかけてしまうんですよね。

 

 

 

今回、私自身は

その「ブレーキ」を感じずに済みましたが

ただ、それが誰にでも

当たり前にできることではないと

改めて、身をもって考えさせられました。

 

 

 

身体が覚えている喪失

 

 

 

正直に言います。

この数日、私はたくさん泣きました。

 

 

 

悲しみは、大きな塊としてではなく、

小さな断片になってやってきました。

 

 

 

もう、あの子を抱っこできない。

あの鳴き声を聞くことができない。

朝、リビングをチョロチョロと歩き回る姿を、

目で追うことができない。

 

 

 

理屈ではなく、身体の記憶が、

ルナの不在をひとつずつ

突きつけてくるんですよね。

 

 

 

ふとしたときに、

抱っこしたときのルナの重さが

蘇ってくる。

 

 

 

物音に振り返っても、

そこにはルナはいない。

 

 

 

自宅には、ルナとの思い出が

ありとあらゆる場所に詰まっているため、

何気ないことがトリガーとなって

ルナのことを思い出すのです。

 

 

 

たとえば、ルナはティッシュの箱から

ティッシュを引っ張り出しては、

それを水飲みボウルに入れる癖があって

 

 

ボウルの周りを

いつも水浸しにしていたんですよね。

 

 

 

だから外出するときは、

ティッシュの箱をひっくり返すか

カバーをかけるのが、

我が家の日課だったのですが、

 

 

今となっては

その日課が必要なくなりました。

 

 

 

「しなくていい」ということは、

「ルナがいない」ということと同じ意味。

 

 

 

大きな喪失は、案外、そういった

生活の細部からジワジワと

やって来るものなんですよね。

 

 

 

ティッシュの箱がそのままの形で

テーブルの上に置いてあるのを見るたびに、

私はルナの不在を

その都度思い知らされるのです。

 

 

 

「こんな些細なことくらいで、

こんなにも涙が出るものなのか」

 

 

 

 

 

 

—自分でもそう思うくらい、

日常の小さなことに

いちいち心が揺さぶられるのですが、

それでいいんだと、今は思うんですよね。

 

 

 

悲しんでいい理由は
外側にはない

 

 

 

悲しんでいいかどうかを決める権利は、

周りの人にはありません。

 

 

 

決めるのは

その関係を生きた本人自身であり、

 

 

その基準は

喪失の客観的な大きさではなく、

その関係が

自分にとってどれだけ本物だったか、

ただ、それだけなんですよね。

 

 

 

ルナは、我が家に来てから

10年と10日間、

私の人生の一部でした。

 

 

 

仕事で行き詰まった夜も、

言葉にならない疲れを抱えた朝も、

ルナはただそこにいてくれました。

 

 

 

 

 

その関係の重みを測る基準は

他人の目にどう映るかではなく、

私自身が、ルナという存在と

どう生きてきたか、それだけでいいのです。

 

 

 

これは、

猫の死に限った話ではありません。

 

 

 

恋人との別れやキャリアの挫折、

誰にも言えない孤独…。

 

 

 

「これくらいのことで、
悲しんでいいことなのだろうか」と

迷った経験がある人は

決して、少なくないはずです。

 

 

 

感情に蓋をしたまま
ここまで来てしまった人へ

 

 

 

私はこの数日、

感情の蓋を開けたままの状態で

過ごしています。

 

 

 

正直、しんどかったりもしますが、

その蓋を無理に閉じるよりも

 

 

今の私には

この方がずっと自分自身に対して

正直でかつ誠実なあり方だと

思うんですよね。

 

 

 

 

 

 

もしあなたが今、

「こんなことで悲しんでいいのだろうか」と

自分の感情にブレーキをかけているなら。

 

 

 

その悲しみを審査する権利は、

あなた以外の誰にもない。

 

 

 

そんなことを知ってほしいと思います。

 

 

 

カウンセリングオフィスプログレス

公認心理師|臨床心理士|AEDP®︎認定セラピスト

向 裕加(むかい ゆか)

 

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