【vol.1482】
こんにちは!
カウンセリングオフィス
プログレスのむかいゆかです。
先日、こんな記事をネットで見かけて
⬇︎⬇︎⬇︎
とても興味がわいたので、
辻堂ゆめ著の『サクラサク、サクラチル』を
早速ダウンロードして、読んでみました。
物語は「教育虐待」を受けている染野高志と
幼い頃から「ニグレクト」と呼ばれる種類の
虐待を受けている星愛璃嘉の
高校3年生の2人の同級生を中心に
展開されていきます。
こういう仕事をしていると
抱えているこころの問題や悩みの背後に
幼少期に受けた「虐待」の影響が
色濃く残っているケースに遭遇することが
度々あるせいか
この小説を読みながら
「その通り!」と思った個所が
多々ありました。
そんな中でも、小説の中盤で
ネグレクトを受けてきた愛璃嘉の
こんな言葉が突き刺さりました。
私たちは、親を憎んでるんじゃなくて、“愛してる”。そして愛されようとするのを止められないんだ。だって、生きるためには親に好かれないといけなかったから。母乳を飲んで、ご飯をたべさせてもらわなきゃいけなかったから。
私たちは
誰かとのつながりをなくしては
生きていくことができないことを
本能的に知っています。
特に、子どものうちは無力で
養育者の庇護のもとでしか
生き延びれないことをわかっているので
自分の生存確率を高めるために
養育者に好かれるためには
どんなことだってしようとするのです。
そうすることが子どもにとっての
唯一の生存戦略だから。
そして
愛璃嘉の言葉を受けて
高志はこんな想像をします。
僕の両親が子どもにまったく関心のない人間だったら、と想像してみる。例えば、この間の無視が一時的なものでなく、一生続いたとしたら。
途端に、心の奥底が冷え始める。だったら対象が僕の成績や学歴であってもいい、どうでもいい虚栄心を満たすためでもいいから、少しでも僕という存在に執着してほしい、というねじれた感情が芽生えてしまう。
養育者をはじめとする
身近な人に関心を持ってもらえないことは
自分の生存を脅かす状態なので
私たちは
それをいち早く察知するように
プログラミングされているんですよね。
ですから
高志が言うように
たとえそれが客観的にみると
「ねじれた感情」だったとしても
つながりが切れてしまわぬように
自分に関心をもってもらえることに
執着することは
生き延びるための最善の努力
だとも言えるんです。
ただ
愛璃嘉にとっても高志にとっても
自身の置かれた家族環境を
生き延びるために有用だった
生存戦略は、必ずしも、
他の場面で有用だとは限りません。
むしろ
自分自身のニーズや欲求、
感情や身体感覚を尊重されることなく
育ってきていると
自分自身の感情や感覚との
切り離しが進んでいってしまい
生きるべき道や方向性を示してくれる
感情や身体感覚にアクセスすることが
できなくなってしまって
容易に自分を見失ってしまう
…という状態に
陥ってしまうんですよね。
そうなると
自分らしい人生を送るどころか
「一体、自分は何のために
生きているんだろう?」
という虚無感や絶望感の方が
大きくなってしまいます。
セラピー/カウンセリングでは
「それは、あなたのせいではない」
…と
虐待を受けた側に
問題があった訳ではないことを
しっかりと保証しながら
虐待を受けていたことで
失われてしまっていた
自分自身の感情や身体感覚に
アクセスする力を回復するのを
サポートしていきます。
そして、そのプロセスの中で
その人本来が生まれながらに持っている
「主体性を取り戻す」のを支援します。
子どもの頃はあまりにも無力で
自分ではどうにもできなかったことが
多々あったろうと思いますが、
今は、違います。
セラピー/カウンセリングをとおして
主体性を取り戻して
自分自身の手で未来を選んでいく
人生を歩んでいきませんか?
ひとりで頑張らずに
私にお手伝いさせてください。
住所 | 〒060-0042 札幌市中央区大通西1丁目14-2 桂和大通ビル50 9F マップを見る |
---|---|
営業時間 | 【火~金】13:00~20:15 【土】10:00~17:00 |
定休日 | 日・祝日・月 |