親との境界線が引けないのは
性格の問題ではなく
育ってきた関係性の構造かもしれません。
【vol.2365】
こんにちは!
カウンセリングオフィス
プログレスのむかいゆかです。
昨日のブログを綴りながら
感じていたことがありました。
妹が産まれたときに
父方の祖父が母に「また、女か」と
言い放ったというエピソードを
子どもの頃に母から聞かされて
当時は幼すぎて
気づきもしなかったのですが
こうやって大人になって
その時のことを
あらためて振り返ってみると
「どうしてその話を
私は母から聞かされなければ
ならなかったんだろう」
と思います。
今となっては
あれは子どもである私に
聞かせるべき話ではなかったと
思うんですよね。
母が感じた悔しさや悲しさは
当然のものだったと思います。
私自身が母の立場だったら
同じように感じることでしょう。
でも
そんな母の気持ちを受けとめ
話し合う相手は
子どもの私ではなく
父だったと思うんですよね。
というのも
子どもの私はその話を聞いても
状況を変えることもできなければ
何かしてあげることもできない。
ただ、母が抱えきれない感情を
一緒に背負わされる無力な立場に
置かれてしまったのです。

この体験を、私は今、
構造の問題だと捉えています。
本来、大人同士で
扱われるべき感情や葛藤が
何らかの理由で
夫婦間でプロセスされないとき
より弱い立場にある子どもに
流れ込んでしまいます。

特に
✔️ 空気を読む子
✔️ 共感力の高い子
✔️ 聞き分けがイイ子
といった子たちが
無意識のうちに感情の受け皿に
なりやすかったりするものです。
それは
その子が優しいからではなく
親との関係を維持するために
必要だったことだからなのです。
子どもの私は
「わかる側」に回るしか
ありませんでした。
親の力をなくしては
生き延びていけないことを
子どもは本能的に
知っていますからね。
ですから
それは優しさというより
一種のサバイバルなんです。
また、この構造は
「しっかりした子」「大人びた子」
という言葉で美化されたり
肯定されやすい分、気づかれにくい。
こんな風に
親自身が抱えきれない
感情や葛藤といった
背負わなくてもよかったものを
背負わされてきた子どもは
決して少なくないと思います。

「それは
お父さんと話すことだよね」
今なら
ためらうことなく
そう言えますが
あのとき子どもだった私は
引き受ける必要のなかったものまで
抱えて必死に生きていたのです。
境界線を引くというのは
誰かを突き放すことではありません。

「ここから先は、私の役割ではない」
と自分に許可を出していくこと。
でもこれは、
頭で理解すればすぐにできるものでも
一度で終わる作業でもありません。
というのも
長い時間をかけて身についた役割ほど
ひとりで手放そうとすると
不安や罪悪感が顔を出すから…。

近くにいる人ほど
境界線は曖昧になりやすいもの。
だからこそ
「どう感じていたのか」
「何を引き受けてきたのか」を
感情をプロセスしながら
あらためて見直していくことが
大切なのだと思います。
私と一緒に
その境界線のあり方を振り返って
知らず知らずのうちに
背負わされてきたものを
そっと降ろしてみませんか?

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