ギリギリまで動けない自分に
落ち込むことはありませんか?
実はその行動には
あなたを守るための
“しかるべき理由” があるかもしれません。
【vol.2329】
こんにちは!
カウンセリングオフィス
プログレスのむかいゆかです。
来週はじめに
北海道から依頼されたお仕事で
保健師さん向けに
研修会をすることになっています。

まあ、いつものことなんですけど
ギリギリ族な私は
今頃になって研修会のスライドを
慌ててしたためているわけでして…。
毎度のことながら
こんな自分が嫌になってくるのですが
その度に
私の記憶に浮かんでくるのは
決まって不機嫌そうにしている
亡き母の顔だったりします。
ギリギリ族なのは
遡ること、小学生の頃。
夏休みや冬休みの宿題や自由研究を
ギリギリまで手につけずに
休みが終わる数日前になってはじめて
焦ってアタフタめいていると
母に「だから言ったでしょ!?」と
冷ややかな顔つきで言われたときの記憶が
未だに蘇ってくるのです。

私、2ヶ月後には50歳になる
イイ大人なんですけどね…。
いかなる状況においても
それだけ親に拒絶されるということは
子どもにとっては
恐ろしいことなのだと
改めて、実感しながらも
別なことも思い出していました。
夏休みか冬休みかの詳細は
忘れてしまいましたが
休み終了の2〜3日前から
はじめた自由研究が
まあまあな評価をされたり
中学の夏休みが終わる数日前に
慌てて読んだ本をまとめた
読書感想文は
札幌市のコンクールで受賞をして
(担任の先生が勝手に応募していた)
市の教育委員会に招待されて
表彰された様子が
地元の新聞紙に写真つきで
掲載されたり…。

そんなふうに
昔のことを思い返していたら
ひとつの事実に気づきました。
ギリギリまで動けなかった“あの頃の私”を
ずっと「ダメだ」と責めてきたけれど
よく考えれば
ギリギリになってから発揮される
集中力と底力 は
子どもの頃から
ずっと私を支えてきた
大事な力でもあったのだ…と。
もちろん
本当は早く取りかかれたらいい。
でも
「ギリギリになっても
私は必ず仕上げてきた」
という事実は
紛れもなく私自身の歴史であり
小さな成功体験の積み重ねなんですよね。

そして最近では
こんな見方もできるようになりました。
ギリギリまで手をつけられなかったのは
怠けではなく
“失敗したくない” という怖さから
自分を守る心の防衛だったのかもしれない…と。
セラピーでは
行動には必ず理由があると考えます。
あのときの小さな私は
母に拒絶されるのが怖くて
うまくやれないと
見放されるような気がして
でも最後の最後で力を振り絞って
なんとか形にしてきた。
そう思うと
「ギリギリ族の私」も
ただの欠点ではなく
恐れを抱えながらも前に進もうとした
いじらしい“生きる知恵” のひとつだったのだと
少し優しく見られるようになったんですよね。
だから今回も、きっと大丈夫。
ギリギリではあるけれど、
私は必要なときには
必ず仕上げてきたから。
その力は今も変わらず
ちゃんと私の中にある。
そう思えたら、
スライドづくりに向かう心が
ふっと軽くなった気がします。
とは言え、本番は月曜日!
ラストスパートをかけて
最後までしっかりと
駆け抜けたいと思います。

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