【vol.1645】
こんにちは!
カウンセリングオフィス
プログレスのむかいゆかです。
久しぶりに映画を観ました。
とは言っても
お得意のNetflixで…
ですけどね(笑)。
観た映画は
山内マリコ著の小説を映画化した
『あのこは貴族』。
X(旧Twitter)を斜め読みしていたら
たまたま誰かの投稿で
この映画のタイトルを目にして
「そういえば
そういうタイトルの映画
Netflixにあったよなぁ」
と思い出して
何気なく観はじめた映画で
さほど期待していたわけでは
ありませんでしたが
(失礼な発言ですみません…)
観終えた後には
胸にグッと刺さるものがあったり
しばらくしてからジワジワと
心に沁みいるものがあったり…と
とてもイイ映画だったと思います。
東京生まれの華子は何不自由ない暮らしをしてきたお嬢様。30歳を目前に恋人に振られ人生で初めての岐路に立たされていた。結婚に焦った華子は婚活をスタートさせ、お見合いでハンサムな弁護士・幸一郎と出会う。幸一郎も華子と同じく裕福な家庭で育った上流の人間で、二人は婚約者となる。一方で地方生まれの美紀は恋人なしの32歳。猛勉強の末に慶に應義塾大学進学するも経済的理由で中退し自力で生きてきた。そんな美紀が大学時代に学費が払えずラウンジで働いていたころに出会ったのが幸一郎。美紀にとって幸一郎は生まれも育ちも全く違うが、同じ名門大学に通っていた幸一郎は美紀にとって憧れの内部生。次第に美紀は幸一郎にとって都合のいい女となり、その腐れ縁のような関係は幸一郎が華子と婚約してからも続いていた。華子と美紀は幸一郎を通して出会い、お互いの人生を見つめなおすようになる(Wikipediaより引用)
というのが
この映画のあらすじなんですが
現代を生きる女性の
幸せとか生き方とか
価値感や生きづらさ…なんかを
改めて考えさせられました。
個人的に「それそれ!」と
強く共感したのが
主人公の華子の友人であり
日本の外の世界もみてきた
バイオリニストの逸子のこんな言葉。
日本って女を分断する価値観が
普通にまかりとってるじゃないですか。
おばさんや独身女性を笑ったり
ママ友怖いってあおったり。
女同士で対立するように
しむけられるでしょ?
私そういうの嫌なんです。
ホントは女同士で叩き合ったり
自尊心をすり減らす必要ないじゃないですか。
(左:華子、右:華子の友人の逸子)
©️山内マリコ/集英社・『あのこは貴族』製作委員会
生き方って
人の数だけあってイイはずなのに
他人のそれと比較して
こっちの生き方がベターだとか
私の方がもっと大変だとか
自身の生き方だけじゃなくて
他人の生き方もジャッジしがち。
生まれ育った環境が違えば
感じ方や考え方、価値観
それぞれに抱えている事情は
異なって当然なはず。
私には私の生き方があるし
あなたにはあなたの生き方がある。
生き方や考え方、感じ方は異なれど
そこに優劣や上下もなく
その違いを尊重できれば
イイだけのことなんですけど
案外
それが難しかったりするのは
生まれた階層や
家父長制といった社会構造などの
自身が置かれた環境によって
「傷ついた」という事実を
認めることができなかったり
誰しもが悩みや苦しみを
抱えているとは思えずに
「自分“だけ”が苦しんでいる」
という孤独感が最大の障壁に
なっていたりするんですよね。
女性として生きることは
決して簡単なことではなく
女性ならではの生きづらさは
間違いなく未だに存在しています。
そういった
私たちひとりひとりの
傷つき体験からの癒しは
個人の安らぎにつながるだけでなく
社会の構造やあり方を変えていく
一旦を担うことでしょう。
多くの女性たちが抱える
悩みや苦しみを和らげていくことは
自身だけでなく周囲の人たちにも
同じような優しさを向けれる力に
つながっていき
そういった優しさの循環は
世知辛い世の中のあり方を変えていく
重要な起爆剤となり得ます。
セラピー/カウンセリングは
個々人のより良い人生のあり方を
探るのはもちろんのこと
その先にある
優しさの循環が溢れる社会の構築に
貢献することを目指しています。
(少なくとも私は…)
自分らしく生きることや
自分にとっての幸せを
追求していく過程の中で
もがき苦しみながらも
自分が心底から納得できる
答えをみつけることは
あなた自身を真の意味での
自立や自由へと
導いてくれることでしょう。
そのプロセスを
私と一緒に歩んでいきませんか?
ひとりで頑張らずに
私のお手伝いさせてください。
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