私たちは
自分の気持ちのはずなのに
ひとりでは気づけない感情を
抱えていることがあります。
今日は、涙と他者の存在が
心を静かにひらいてくれる瞬間について
綴ってみました。
【vol.2308】
こんにちは!
カウンセリングオフィス
プログレスのむかいゆかです。
AEDP®︎研究所の
シニアファカルティを務める
花川ゆう子さんのメルマガを
購読しているのですが
先日送られてきた
『セラピストの涙は
「失敗」?それとも「癒し」?』
というタイトルのメルマガを読んで
ふと思い出したことがありました。
4年前の12月のこと。
亡き母が体調不良で病院にかかったら
子宮体癌のステージ4だと告げられました。
母自身は抗がん剤などの
「積極的な治療は望まない」
と言っていたため
それならば「余命は一年ほど」と
主治医の先生から告げられていました。
当時の私は、そのニュースを
驚くほど“冷静”に受けとめていました。
もちろんショックはありましたが
混乱することもなく
どこか淡々とその現実を
捉えてるように思っていたのです。
ちょうどその頃、
高校時代からの友人に
会う機会がありました。
何気ない近況報告の流れで
母の病気のことを話したところ
彼女は言葉を失って
目に涙をためたまま
黙って私の話を聞いていました。

その涙を見た瞬間
自分でも驚くほど
自然と涙が込み上げてきたんですよね。
「あれ?
私は平気だと思っていたのに…」
そう思った次の瞬間
身体の緊張がふっとほどけていくのが
自分でもハッキリとわかりました。
胸の奥で固く縛られていた何かが
ゆるやかに解けていくような感覚。
その“緩み”と同時に
胸の中心がじんわりと温かくなりました。
そのとき、気づかされました。
私は“受けとめているつもり”でいたけど
実はずっと我慢していたのだということに…。
家族の前では、長女として
しっかりしなければならないという
無意識の役割。
それが私の身体を
固くしていたのだと気づきました。
でも─
友人の涙が
その張りつめていたものを
そっと解いてくれたのです。
「私のことを、こんなふうに
受けとめてくれる人がいるんだ」
そのあたたかさに触れたとき
初めて“本当の気持ち”に
アクセスできたように感じました。

ここで改めて思うのは─
人は、自分ひとりでは
“自分の本当の気持ち”に
気づけないことがある…ということ。
誰かの涙が
自分の涙を許してくれる。
誰かが
自分の代わりに怒ってくれたとき
「怒っていいんだ」と
腑に落ちる瞬間がある。
まるで鏡のように、
目の前の人が“私の感情”を
映し返してくれることで
はじめて輪郭を持って
立ち上がる気持ちがあるんですよね。

私が日々向き合っている
セラピーの場でも
同じようなプロセスが起こります。
私はセッション中も
自分の胸が動かされたときには
ありのまま涙を流すようにしています。
その涙が
クライエントの“鏡”となって
閉じていた感情がそっとひらく瞬間を
何度も目にしてきました。
自分ひとりでは気づけなかった気持ちに
“安全な他者”が寄り添ってくれることで
身体が
「もうひとりで抱えなくていい」
と理解していく。
涙は弱さではなく
関係性がもたらす
“気持ちがひらくサイン”。

誰かと一緒だからこそ届く感情があり
そこから初めて心は回復をはじめます。
もしあなたの中にも
「ひとりでは触れられない感情」があるなら—
その旅路を私と一緒に歩いてみませんか?

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