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被爆者が語る「サバイバーズ・ギルト」|忘れたい記憶を未来へつなぐ理由

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広島に原爆が投下されて80年。

被爆者・大橋和子さんが

長く封印してきた記憶を語る決断をしました。

 

 

 

その背景には

「サバイバーズ・ギルト」という

深い心の痛みがあります。

 

 

 

【vol.2208】

 

 

 

こんにちは!

カウンセリングオフィス
プログレスむかいゆかです。

 

 

 

今日は、広島に原爆が投下されて

80年という節目の日でしたね。

 

 

 

(2021年6月広島にて撮影)

 

 

 

私も朝から

広島の平和公園で開催された

平和記念式典の様子を

スクリーン越しに観ていました。

 

 

 

 

 

 

その前に

朝のニュースを観ていて

92歳の被爆者・大橋和子さんの

お話を見聞きして

朝から大号泣してしまいました。

 

 

 

 

 

 

大橋さんが被爆したのは

12歳のとき。

 

 

 

学校に入学したときから

「何をするのも一緒」

という大親友が

 

 

「あ、飛行機が飛んでる」

と言ったその瞬間—

原爆が投下されました。

 

 

 

 

 

 

大橋さんの目の前で

大親友はその場で亡くなりましたが

 

 

たまたま

その大親友の陰にいた大橋さんは

一命を取り留めました。

 

 

 

その体験が

彼女に深い罪悪感を生み

一生を通して

苦しめることになったそうです。

 

 

 

心理学では

これを「サバイバーズ・ギルト」

と呼びます。

 

 

 

戦争や災害、事故の生存者が

犠牲になった人に対して抱く

罪悪感のことです。

 

 

 

 

 

 

忘れたかった記憶を「語る」意味

 

 

 

大橋さんは長らく

その記憶を「早く忘れたかった」と

語っていました。

 

 

 

けれども

被爆の実相を伝えられる人が

年々少なくなる中で

 

 

この記憶を語らずに終わらせることは

生き残った自分の意味を

見失ってしまうのではないか—

 

 

そう感じるようになったそうです。

 

 

 

そして、

避け続けてきた痛みと向き合い、

母校で話をする決断をされました。

 

 

 

祖父の戦争体験と、聞かなかった後悔

 

 

 

私の祖父も

満州から命からがら帰ってきた

帰還兵でした。

 

 

 

普段は口数の少ない人でしたが

お酒が入って酔うと

戦争のときの話をしたがる人でした。

 

 

 

けれど、子どもだった私は

「戦争はもう終わった遠い昔のこと」

と捉えていて

 

 

祖父が話し始めると「またか…」と

真剣に耳を傾けることは

ほとんどありませんでした。

 

 

 

祖母や両親も

辛い過去の話は聞きたくない…

そんな雰囲気があったように思います。

 

 

 

今になって、当時ことを振り返ると

祖父の話をきちんと聞かなかったことを

激しく後悔しています。

 

 

 

記憶を受け取り、未来へつなぐために

 

 

 

過去を語ることは、
再び当時の感情や身体感覚を呼び覚ますため、
とても苦しい作業です。

 

 

 

それでも

「誰かの未来を守るために話す」という

明確な目的があるとき
その痛みは“使命”へと変わります。

 

 

 

 

 

 

語ってくれた人がいるからこそ
私たちはその記憶を受け取り、
次の世代へつなぐことができます。

 

 

 

悲しみや罪悪感を抱えたまま
それでも語ってくれた人の声を、
ただ聞き流さず、
自分ごととして受け取りたい——。

 

 

 

今日、この節目の日に

セラピストとしてだけでなく

ひとりの日本人として
そのことを静かに胸に刻みたいと思います。

 

 

 

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