【vol.1326】
こんにちは!
カウンセリングオフィス
プログレスのむかいゆかです。
たまたま
ネットでニュースを
チェックしていたとき
こんな
タイトルの記事に
遭遇して
この記事を
読みながら
昔のことを
思い出しました。
私が
思い出したのは
性犯罪や性暴力に
関することでは
ありませんが
記事中にある
この箇所
⬇︎⬇︎⬇︎
2017年の改正時、当事者らが行ったキャンペーンの一つは「嫌よ嫌よは嫌なんです(ノー・ミーンズ・ノー)」だった。「嫌よ嫌よも好きのうち」と語られ、性的行為を行うにあたって明確な同意を取るのはむしろ無粋であるとされてきた日本社会への問題提起だった。
に触発されて
子どもの頃
実際にあった
母との
エピソードが
頭の中を
よぎったんですよね。
子どもの頃
私は
こちょばされるのが
大の苦手でした。
(こちょばすは
北海道弁で
「くすぐる」という意味)
こちょばそうとする
手を見ただけでも
笑い出して
しまって
くすぐったい感覚が
全身に走るのが
とてつもなく不快で
「やめて!
お願いだから
こちょばさないで!」
…と母に
懇願するのですが
母は
私が
笑っているから
OK
だと思い込んで
止めようと
するどころか
いつも
こちょばし
続けました。
私が
思い出した
その日も
こちょばそうとする
母に
「やめて、
お願いだから
やめて!」
…と
何度も懇願するも
聞き入れてもらえず
実際に
母が
私の身体に触れて
こちょばし
はじめたとき
くすぐったさから
逃れるために
手足を
バタバタさせたり
身体をよじったり
していたら
思いっきり
母を蹴飛ばして
しまいました。
もちろん
意図的に
蹴ったわけでは
ありませんでしたが
母は
大激怒して
母を蹴った私を
非難しました。
私も
「だから
何度もやめて!
って言ったのに!」
…と
反論しましたが
母は
不機嫌になって
その場を去った
…ということが
ありました。
嫌だ!と
言ってるにも
かかわらず
笑っている
からと
その言葉を
真摯に
受けとめて
もらえない
悲しさ
不快に
耐えなければ
ならない
苦しさ
完全なる
アクシデント
だったのに
蹴った私が悪い
と悪者にされた
その理不尽さ。
幼いながらも
腹立たしさを
感じつつ
何もできない
無力感をも
同時に
抱いていました。
「嫌よ嫌よも好きのうち」
…は
性犯罪や
性暴力だけでなく
私たちの
社会のいろんな場面に
散りばめられています。
いじられ
キャラの人は
好きでいじられている
…というのも
テレビ番組で
嫌だと
言ってるのに
無理やり
バンジージャンプさせて
絶叫しているところを
笑ったりする
…というのも
「嫌よ嫌よも好きのうち」
という言葉で
ことの重大さが
矮小化されて
しまっている
典型ですよね?
そして
こういうことが
日常の中に
ありふれていることで
いつしか
「嫌」という言葉の
意味そのものが
歪曲化されてしまった
…と感じています。
「嫌だ」
という感覚は
相手のものであり
それを
「好き」
と曲解するのは
境界線の侵害
であり
この
境界線の侵害は
侵害された側の
主体性を
ジワジワと
奪っていきます。
「嫌だ」と
意思表示することも
大切ですが
「嫌だ」と
意思表示された
ときには
その気持ちを
リスペクト
することも
同じくらい
大切なことです。
なぜならば
そういう
相互的な
リスペクトが
良好な
人間関係の土台
となるから。
嫌よ嫌よは
マヂで無理
…という
意味です。
一方的で勝手な
分析や解釈を
することなく
相手が
発している
言葉に
真摯に
耳を傾けることが
できていますか?
そんなことを
改めて
見つめ直してみたい
…と
思わされた
記事でした。
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